ベトナム個人所得税法改正、企業と労働市場への影響

ベトナム国会は、個人所得税(PIT)法の改正案を承認し、課税所得の範囲、控除や免税の仕組み、累進税率区分、不定期所得への適用税率などについて大幅な見直しを進めることを明らかにした。今回報じられている内容は、正式法文の公表前段階における草案およびメディア報道に基づくものであり、詳細な運用ルールは今後数日以内に明確化される見通しだが、全体像としてはベトナムの財政制度を次の段階へ押し上げる重要な改革と位置づけられている。

この個人所得税改革は、2025年から2030年にかけて進められるベトナムの財政近代化戦略の中核を成すものであり、税基盤の拡大と低・中所得層の負担軽減を同時に実現することを目的としている。政府は、可処分所得の押し上げによる購買力の向上、税負担の公平性確保、労働力の競争力強化を狙っており、法人所得税(CIT)や付加価値税(VAT)の制度改正と歩調を合わせた包括的な税制再構築の一環といえる。特に、国境を越えて人材を活用する多国籍企業にとっては、制度の予見可能性が高まり、急成長するデジタル経済・サービス経済下での中長期的な人材戦略を立てやすくなる点が大きな意味を持つ。

今回の改正案が注目される理由の一つは、家族控除や基礎控除の大幅な引き上げにある。財務省は、生活費や所得環境の変化を踏まえ、基礎控除額を月額1,100万ドンから1,550万ドンへ、扶養控除額を月額440万ドンから620万ドンへ引き上げる方針を示している。これにより、扶養家族のいない個人は月収1,700万ドンまで、扶養家族1人の場合は2,400万ドンまで、2人の場合は3,100万ドンまで個人所得税が課されない水準となる。さらに、従来は消費者物価指数(CPI)が20%以上変動した場合にのみ控除額調整が可能だった仕組みを見直し、物価や所得環境の変化に応じて政府が速やかに調整案を提出する制度へと改める点も、実務的な改善として評価されている。

税率構造についても簡素化が進む。現行の7段階の累進税率は5段階へと整理され、最高税率35%は維持されるものの、高所得層に適用される区分の所得閾値は引き上げられる可能性がある。これにより、申告や源泉徴収の分かりやすさが向上し、インフレ下で負担が増していた低・中所得層への実質的な救済効果が期待されている。

家計事業者に対する課税見直しも重要な論点だ。国会審議を経て、非課税となる年間売上高の基準は従来の1億ドンから5億ドン超へと大幅に引き上げられる方向となった。これにより、年間売上5億ドン以下の家計事業者は個人所得税が免除され、小規模事業者の負担軽減と起業環境の改善につながると見られている。

一方で、投機的取引の抑制を目的とした新たな課税も盛り込まれた。金地金の譲渡については、1回の取引ごとに取引額の0.1%を個人所得税として課す方針が示されている。ただし、貯蓄や長期保有を目的とした一定規模以下の取引については、今後定められる基準により非課税とする方向で、個人投資家への過度な影響を避ける配慮も示されている。

労働参加やイノベーションを促進する観点から、免税措置の拡充も進められる。夜間労働や残業については、割増部分のみならず全額を非課税とする措置が導入されるほか、ハイテク分野や高品質なデジタル技術産業に従事する高度人材については、給与・賃金所得を5年間免税とする制度が検討されている。さらに、カーボンクレジットやグリーンボンドの初回譲渡による所得を非課税とすることで、環境分野への投資を後押しする狙いも明確だ。

草案段階では、教育費や医療費の控除拡大、暗号資産を含むデジタル資産取引や電子商取引収入の課税明確化、証券・資本取引における課税方法の見直しなども提案されている。特にデジタル経済分野は、2024年に2,500億米ドル規模の収益を生んだとされており、これまで曖昧だった課税領域を制度的に取り込む姿勢が鮮明だ。加えて、税務行政のデジタル化を加速させ、電子申告やデータ連携を強化することで、オンライン所得の捕捉精度を高める方針も示されている。

施行時期については、改正個人所得税法全体は2026年7月1日施行が予定されているが、給与・賃金や事業所得に関する一部規定は、納税者への早期負担軽減を目的として2026年1月1日から先行適用される見込みだ。詳細な計算方法や必要書類については、正式法文および関連政省令の公布を待つ必要がある。

企業にとっては、源泉徴収表や給与計算システムの更新、デジタルプラットフォーム取引に関する報告体制の整備、株式報酬やグローバル人事制度への影響分析など、準備すべき課題は多い。特に多国籍企業やIT・プラットフォーム事業者にとっては、早期にシナリオ分析を行い、社内体制を整えることが、コンプライアンス対応と従業員満足度の両立につながるだろう。今回の改正は、単なる税率変更にとどまらず、ベトナムの経済構造と税務行政の進化を象徴する動きであり、今後の成長戦略を占う重要な指標となりそうだ。

https://www.vietnam-briefing.com/news/vietnams-personal-income-tax-law.html